【朝鮮日報/コラム】漢字とハングル、どちらがふさわしいのか[06/03]
1 :荒波φ ★:2012/06/03(日) 10:28:09.57 ID:???
新たに書くのか昔の字体から選ぶのか…難題山積
「ハングルVS漢字」の「語文論争」に
「復元」の範囲はどこまでなのか国民的合意引き出すべき
新たに作り直す光化門の懸板(門や鳥居などの高い位置に掲げられる扁額〈へんがく〉のこと、表札)の文字をめぐる問題は、今やハングルと漢字の「語文論争」にまで発展している。光化門の懸板に関する意見を交換するために開かれた先日の公聴会では「クァンファムン」とハングルでの表記を主張する陣営と「光化門」と漢字での表記を主張する陣営が真っ向から対立し、大声や罵声が飛び交った。見るに見かねた聴衆は「まるで電気のこぎりやハンマーが登場する国会討論を見ているようだ」とあきれる始末だ。
そうでなくても、光化門の懸板の文字をめぐる問題は、難題が山積している。2010年に光化門が復元されてから、わずか3カ月で懸板にひびが入ってしまったことで、これを機に字体も新調したいとする世論が浮上し、これまで検討作業が進められてきた。しかし、懸板の文字を新たに誰かに書いてもらうか、あるいは過去に使用された文字の中から3文字を選んで組み合わせるのか、という問題をめぐり、話し合いは難航した。
さらに、この問題が解決されたとしても、新たに書くとすれば誰が書くのか、過去の文字を集めて組み合わせるとすれば誰の字体を選ぶべきなのか、自己主張の強い人が多い韓国社会では、難題中の難題となっている。
こうした中、ここ50年にわたって論じられてきた問題の一つ「漢字か、ハングルか」という問題が浮上したのだ。
今では、光化門の新しい懸板を年内に掲げることができるかどうかさえ、断言できない状況に陥っている。
文化財庁が光化門の懸板の文字をめぐる第1回公聴会を開催した際に、テーマを「漢字か、ハングルか」としたことが、まさに火に油を注ぐ結果となってしまった。文化財庁は昨年末、光化門の懸板に対する国民世論調査を実施した際にも、漢字かハングルかを一番目の質問事項に掲げた。
光化門の懸板問題は、ハングルと漢字の語文論争とは次元が異なる問題だ。懸板をハングルで仕上げたからといって、ハングル専用論が勝利を収めるわけでもなく、「光化門」と漢字にするからといって「ハングル・漢字の混用論」(国漢文混用論)や「漢字効用論」が勢いを増すわけでも決してない。今回の件は、単に光化門を150年ぶりに修復するに当たり、懸板を新たに作り直す過程で、これに最もふさわしい字体が何なのかを話し合っているにすぎないのだ。
今最も優先すべきことは光化門の復元に関し、その「復元」の範囲をどこまでにするかという問題について、国民的合意を得ることが先決だろう。現在復元された光化門は、大院君(朝鮮王朝第26代王高宗の父)が景福宮を改築した1865年当時の姿を取り戻すために、コンクリートの建築物を木造に替えたほか、従来の道路を変更することで、ずれてしまった角度も修正している。このように「元来の姿を取り戻す」という意味での復元に徹するなら、懸板の字体もやはり、大院君による景福宮改築の際に工事責任者を務めた訓練隊長の任泰瑛(イム・テヨン)が書いた「光化門」の懸板文字をそのまま使用することが正しい選択だろう。問題は当時、任泰瑛が書いた字体が拓本の形でも残っていないということだ。
文化財庁は苦肉の策として、現存する100年前の光化門の写真をベースに任泰瑛の字をデジタル技術で加工し再現したが、専門家たちからは「字が死んでいる」「味気がない」と不評を買っている。
景福宮をはじめ、昌徳宮、昌慶宮、慶喜宮、慶運宮(徳寿宮)の朝鮮王朝時代の5大宮の大門に掲げられた懸板が、どのような字体で書かれていたのかを参考にすることも、一つの方法といえるだろう。
崇礼門や興仁之門など朝鮮王朝時代の4大門と宮廷の大門に掲げられた懸板の字体には、書く人は違っても共通した流れがあるという。
光化門の懸板の字体も、こうした流れに最大限合わせるという原則さえ守れば、その他の問題も解決できるはずだ。
新たに作り直す光化門の懸板は、現代が後世に残す文化財だ。自分の主張を貫くために青筋を立てるのではなく、他人の話に耳を傾けながら譲歩して合意し、最善の結論を導き出そうとする知恵が必要だ。
これは何も文化財庁に限ったことではなく、この時代を生きる人々が皆、試されていることなのだ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/06/03/2012060300105.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/06/03/2012060300105_2.html
光化門 - Wikipedia
光化門(クヮンファムン)は、韓国 ソウル特別市 鍾路区 にある、王宮の城門 の遺構である。1394年 に初めて建設されたのち、何度かの焼失・移動・復元工事を経て、2010年8月に最新の門が一般公開された。
沿革 [編集 ]
- 李成桂 による漢陽 遷都(1394年)の際に、景福宮 の正門として建設された。
- 1553年の大火で焼失。
- 豊臣秀吉 の文禄の役 (1592年)のさい、朝鮮民衆に放火 され再び焼失(景福宮 参照)。
- 19世紀に大院君 が民衆を徴発し再建させた。
- 1910年 の日韓併合 後、植民地期には朝鮮総督府 がこの門の取り壊しを検討したが、日本 の白樺派 の美学 者柳宗悦 らの働きかけで保存されることになった。
- その後、1950年 の朝鮮戦争 で焼失。
- 朴正煕 大統領の時の1972年 に鉄筋コンクリートで再建された。
- 2010年 に位置を移動した上で扁額をハングルから漢字に変えたものに再再建された。
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